「コミュ力の誕生」(1)

就活が本格化するこの時期、色んな雑誌が「どうすれば内定が取れるのか」をほのめかす記事を書く。

AERAのある記事によると、とりあえず「人の話を聴けない学生」コミュ力がない」とみなされるそうだ。


コミュ力」「人間力」による選考では「落ちた理由」が明かされないから、就活生は不安と劣等感にさいなまれてしまう。「人間力がない」と言われて 進化の過程をやり直せるわけでもなく、かといって具体的な解決策が与えられるわけでもないのが現状である。


ところで、この言葉が登場したのはつい8年ほど前の、2003年。


1996年に中教審の第1次答申で「生きる力」が登場し、ゆとり教育が完成した。「生きる力」とは、【確かな学力/体力・健康/豊かな人間性の三位一体のことだった。


しかし「ゆとり教育批判」が巻き起こり、2002年をピークに「生きる力」は求心力を失っていく。代わって登場したのが人間力というわけだ。



96年に誕生した「生きる力」には、すでに「豊かな人間性という曖昧な文言が含まれていたのである。


ふう。半分来ました。一旦切ります。