AV女優の主体性
ヘテロの女が、男性向けAVを男性と同じ目線で見ることは難しい。
女である自分は、AVに出てくる女性をどうしても自分と重ね合わせて見てしまう。そして彼女たちの扱われ方に、ちょっと落ち込む(だったら見るなと言われそうだが、この記事を書くため、改めて最近のAVを何本か見てみました)。
このようにAVを見ていると、AV女優と自分との距離が分からなくなることがたまにある。
これを男性に言うと、かならず複雑な顔をされる。「それってAV女優になりたいってこと?」と問われるので、「いや、微妙に違う…違うけど、彼女たちと自分が全く違うものとは思えない」というような会話になる。
どうして「AV女優と自分が全く違うものとは思えない」かというと、『小悪魔ageha』の読者として飯島愛に憧れていたからではなく、お金と(そして承認を)得るため性的な演技をする彼女たちが、とてもとてもリアルな存在に思えてくるからだ。
もう少し分かりやすく言うと、何もない「一般人の」状態で、いきなりAV女優としてデビューしたがる女性はいない、ということだ。
彼女たちの多くは、路上でのスカウトや、キャバクラや風俗店などを訪れたスカウトに何度も説得されることによって、「脱ぐ」。私も風俗のキャッチにはあったことがあるので分かるが、この仕事に就く女性は圧倒的に「お金」に困っていることが多い。彼らはそこを分かっていて、「少し脱ぐだけで、たくさんのお金が稼げるよ」と言葉巧みに言うのである。
多くの女性は、稼げるお金の額と、自分が「脱ぐ」ことによるリスクを天秤にかけ、迷いながらAV女優になっていくのだ。
巧みな説得→迷い→説得→決断→迷い→説得→決断という流れがなければ、誰もAV女優にはならないとさえいえる。
ここで大事なのはおそらく、最終的に説得されてしまうからとはいえ、彼女たちが「スカウトに騙されるだけの存在」ではない、ということだ。
なにより、AVに出ることを決断したのは彼女たち自身である。誰かに相談したりするかもしれないが、結局決めるのは自分である。それにもし、彼女たちが「一方的に騙されるだけの存在」で、主体性も何もないとしたら、彼女たちが「この労働環境はおかしいのではないか」と気付いたとき、そこから抜け出そうとする主体性もまた、存在しないことになる。
そんなのは、おかしくないか。
AV女優について考えてみるとき、私たちはいつも、彼女たちを「自ら進んでAVに出るふしだらな女」もしくは「騙されて搾取される可哀相な女」のどちらかとして、見てしまう。
だが、100%主体的な人間もいなければ、100%従属的な人間もまたいない。このことを忘れると、彼女たちをリアルな他者として見ることができなくなってしまう。そして、虚しいイメージを再生産するだけである。
冒頭で、「AV女優と自分が全く違うものとは思えない」と言ったのはたぶん、そういうことと関係している。