「キラキラ働く」のはいいけれど
最近、30代後半〜50代の「バリキャリ」女性と話す機会がよくある。
彼女たちはみな一様におしゃれで、仕事に趣味に一生懸命。しっかり子育てもしている。かといって家庭に籠もるのではなく、消費者としても立派だ。使うお金の額など、ケチな学生とはケタが違う。毎日だらだらしている学生の身からすれば、彼女たち「バリキャリ女性」の生き方は「すごい」としか言いようがない。何か下さい。ぇ
そんな彼女たちが自分の人生について語るとき、よく口にする言葉がこれ。
「私は○○を犠牲にしてここまでやって来た」。
○○には、出産や育児、家族との時間などが入る。一見、イキイキと働いている(ように見える)彼女たちだが、そこに至るまでには、「何か」を犠牲にせざるをえなかったらしい。
大手出版社で働くある30代後半の女性は、子どもはいるが夫とは離婚。働くモチベーションはずっと、愛する娘だったという。またある広告代理店で働く50代の女性は、夫はいるが激務のため子どもは作らなかった。
NHKの「プロフェッショナル仕事の流儀」なんかを見ていると、大企業で「上」にのぼりつめるには、相当頑張らなくちゃいけないんだろうな、とおもう。あの番組に出てくる「すご腕部長」やその周りの社員を見ていると、本当に働きすぎ。彼らのプライベートな部分は、家族の無償労働に支えられているんだろう。って言うと嫌われるかな。
でも彼らの、それこそ家庭を顧みずに働ける強さが、うらやましかったりする。
そういえば冒頭で触れたバリキャリ女性と同年齢の男性会社員から、「僕は家庭や子どもを犠牲にして、ここまでやってきた」なんて言葉は聞いたことがない。
主婦がいれば、バリバリ働ける。一家に一主婦。どこか昭和の香りがする。でも実際、まだまだ多くの日本の家庭はそういう感じだと思う。男の人、働かされすぎ。
「上」に上り詰めるためには、自分の時間の全てを会社にかけなければならない。私の目からは、多くの日本の会社がそういう風に見える。会社への忠誠心がいちばん大事なんだろうな、と。まだ働いたことないから実際は知らないが。
子どもがいれば当然、そんな働き方は難しくなる。ある50代女性は「男の10倍頑張ってきたのよ」と言うが、誇張ではなさそうだ。
だから、女性誌によく出てくる、
「子供もいて、愛する夫もいて、女としても現役で、家事も育児も適度にこなし、家族円満でハッピー♪」みたいな「バリキャリ」女性など、本当はどこにもいないということだ。
今の20代女子たちは、そんな上の世代を見ている。安定した居場所が欲しいが、子どもを持ちながら働くことの、何が正しいのか分からない。だから、頑張る勝間和代の本が売れたのか。それも今では「カツマー乙」って言われて終わりそうな気がする。
どうすれば女性誌に載っている誰かのように、「キラキラ働く」ことができるのだろう。
会社で上を見れば、何かを犠牲にしながら男社会の中で疲れ切った「バリキャリ」と、専業主婦の妻にプライベートを全部まかせて会社に尽くす「モーレツ社員(死語か)」しかいない。
要は昭和型「近代家族」以外の魅力的なロールモデルが無いのである。
20代女子が、明るく絶望したように「主婦になりたい」と言う理由が、やっと分かった。