美しい日本の会社
こんにちは、kayaです。
今回は、日本の会社について書きます。といっても難しい話はできないので、印象論(こら)から始めてみます。
働き始めて改めて感じたのが、会社って本当に「尽くす人たち」を必要としているんだな、ということ。サービス残業も厭わず、ガンガン働いてくれる社員さんが、いちばん偉いんだよね。
そういう「会社のために尽くす」働き方は、日本の社会人が「就職」ならぬ「就社」をしていることの一側面だ、とはよく言われるけど(そしてもちろん、そういう働き方すらできない人も最近はとても多いんだけど)。
だから、多くの日本の会社は、「総合職」以外の「会社に対して部分的にしか貢献しない人間」に対してとても冷たい。
たとえば一定の業務しかしない「専任職」や「派遣」「パート」は、会社に滅私奉公しないため、必然的に「総合職よりも劣った存在」扱いとなる。彼らは、会社からあてにされない代わりに安定を失う。
つまり、総合職以外の賃金では「一家を養う」ことができない。家族の中で誰か1人が総合職であることを前提としているから、「総合職以外」のお給料は安く抑えられる。
一方総合職は、「安定」の代わりに会社に対して「総合的に」(=無限に)尽くすことを求められる。
彼らはその名の通り、何でもやります、という契約で採用されている。だから「自分の仕事はここまでです」という線引きができず、職務範囲が無限に拡大する。全国転勤がその最たる例だよね。
この「総合職」たちの結束により、日本の会社は安定した共同性を保ってきた。だけど今、会社に対して部分的にしか尽くせない、尽くさない人たちもたくさん出てきている。そして当の「総合職」の中にも、以前のような「横並び感」はない。「名ばかり管理職」は果たして「総合職」なのか…
私たちのなかには「漠然とした不安」が広がっていると思う。
会社に尽くしても報われないかもしれないが、尽くさなければ、「必要とされない人材」になってしまうのではないか。フリーターにはなりたくないが、この残業が「成長」につながるのか分からない。派遣の仕事は楽しいが、一生時給1000円か…
そういえば少し前のBAILA(アラサーOL向けファッション誌)で、池上彰が読者の「漠然とした不安」に答える企画があった。
池上氏は、「僕が30代の頃は朝から晩まで働きまくっていたので、皆さんのように “漠然とした不安” を感じる余裕もありませんでした」と言っていた。
当時の彼が幸せだったかどうかは決められないが、美しい日本の会社、に尽くす生き方の典型ではあったと思う。