結婚したら勝ち組。
みなさん、こんにちはー。相変わらず蒸しますね。いかがお過ごしでしょうか。
江ノ島で、リア充が吹かせる湘南の風に吹かれたけど美味しいパスタは作ってないkayaです。
いきなりだけど最近、通勤途中に『くすぶれ!モテない系』(能町みね子著)というエッセイを読みました。
「モテない系」というのは、モテ系にはなれないし、なりたくない!っていう自意識過剰さと、全く男から相手にされない「圏外ちゃん」にはなりたくないしそこまで自分は落ちていない、っていうプライドとの狭間で揺れ動く日本のうるわしき女子たちのことです。あなたの周りにもいるよね?というか、自分がまさに「モテない系」かもしれないと思うkayaですが。
彼女たちは一応、彼氏もいるし、結婚したりもしている。だけどどこかで、ゆるふわ系ファッションと天然キャラで男に媚びるモテ系と自分は違う と思っている。モテ系の彼女たちをうらやましいと思いつつも、モテない系はどこかで、自分の中の「女」と距離を取ってしまうのです。
ただし、モテない系は「仕事第一のバリキャリ」でもないので、いっとき話題になった「負け犬」にもなりきれない。*1この中途半端さがモテない系なのです。
著者の能町みね子氏は、負け犬はキャリアがあるので結婚しなくても収入面には不安がないが、モテない系は特にバリバリ仕事をするわけでもない、ゆえにたいして収入も多くないので 「とりあえず結婚はしとけ」という。
あー日本には「バリキャリ負け犬」の背後に、多くの「モテない系」が控えているんだろうなと思う。 だいたい酒井順子氏の『負け犬の遠吠え』は都会に生きるキャリア女性たちが、お金のかかる趣味(歌舞伎やら着物やらワインやら)を楽しむ様を軽妙なタッチで描いたエッセイだった。そんなの東京にしかいないじゃん。
じゃあどうして『負け犬〜』があれだけ売れたかというと、日本では「結婚しないこと」への不安や背徳感がまだまだ根強いせいだと思う。『負け犬』は「結婚していない不安」という1点に焦点を絞ったおかげで、あれだけヒットしたのだ。
私はヘテロの女だから特にそう思うのかもしれないが、結婚している、つまり私は誰かに選ばれていること安心感は相当なものだと思う。結婚さえすれば「マジョリティの側にいる安心感」が得られるからだ。なんなら結婚していない人たちを見下すことだってできそうで恐い。『負け犬〜』をことさら熱心に読んだのは、もしかして結婚している女たちかもしれない。
社会学者の宮台真司氏は「独身者は、子育てによって地域コミュニティに参入する "絆コスト" を払っていない」という。彼の言葉はきっと、既婚者たちの心に心地良く響くことだろう。
いや別に、私は既婚者をdisっているわけではありません。エッラそうなことを言ってるkayaでさえ「や、いつか結婚はしたいぞ」などと思っているわけです。特に女性にとって、結婚して誰かの夫になることは「社会とつながる居場所」を得ることと直結する。「〜さんの妻」「〜さんのお母さん」という呼ばれ方は、誰かに自分が帰属する強烈な安心感を与えてくれる。
だから人はなかなか離婚しないのである。
DVで結ばれたカップルがなぜ別れにくいと言われるのか、納得できた気がする。臨床心理士の信田さよ子氏が言うように、DV夫の妻は「妻の座から転げ落ちること」が怖いのかもしれない。「経済的基盤を失うことが恐い」という理由も確かに間違ってはいない。ただそれだと、仕事をもつ女性がDV夫となかなか離婚しないケースの説明がつかないように思う。
彼女たちは、一度でも誰かに選ばれたその地位を手放すことが恐ろしいのかもしれない。なぜならこの国では、結婚していない女(最近では男もか)に浴びせられる視線がとても冷たいから。
「自分はその冷たい視線を浴びたくない」という不安が「寂しさ」を駆り立て、女を婚活に向かわせると言えばあまりにドライな気もする。というわけで「モテない系」の私はそんな風に思ったりしながら、慣れない湘南の風を浴びて湘南の風邪をひいたりしています。
*1:負け犬とは、仕事一筋に生きてきた結果、その完璧主義さゆえに男を遠ざけてしまった独身30代のことです。