愛あるセックスと「自由」

こんにちは。Kayaです。

最近、北原みのり氏が書いた『アンアンのセックスできれいになれた?』を読みました。
1970年に日本初の女性ファッション誌(と言ってもいいよね)として生まれたan・anの40年間を、セックス特集で振り返るという内容。面白かったよ。an・anのセックス特集には時代の空気が反映されている。


中でも特に興味深かったのは、97年あたりからそれまで「私のためのセックス」「開放的で自由なセックス」を高らかに主張していたan・anが、「愛あるセックス」ばかりを礼賛するようになったこと。

ちょっと引用してみます。

「(最高のセックスは)愛情と信頼と、すべてをゆべてをゆだねられる一番好きな恋人」「最高のセックスは、愛される幸福感をもたらす」「最高の快感を得られるのは、一番好きな人とのセックス」(97.6.20)


北原氏によればan・anが「愛あるセックス」を唱え始めた背景には、当時の援交ブームや東電OL殺人事件といった「セックスが売り物になる社会風潮」があるという。性行為に簡単に値段がつく社会では、売り物になり得ない(と思われている)「愛」の価値がインフレを起こすのだ。


そうして「愛ある素晴らしいセックス」が規範になると、自分のセックスを思い返して「ああ、愛のないセックスをしてしまった」と落ち込んで自分を責める女の子が大量に生まれるだろう


an・anの唱える「愛あるセックス」はそれができなかった場合、相手ではなく女の子が自分自身を責める仕組みになっているからだ


「好きでもない相手とヤってしまうあなたは、心に問題があるのでは?*1」。


こう言われると女の子は黙って自分の心を覗き込むしかなくなる。


そういえば、90年代末に思春期だった自分も「愛がないセックスはしてはいけない」の呪縛の中で育ってきたと思う。


たとえばkayaが受けてきた性教育は出産のビデオを見て感想を書いたり、「中絶はあなたの心も体も傷つけます」式の「脅し」か「エイズ差別はダメ」とか、それくらいだった。思春期の自分にとって中絶は、愛のないセックスをした罰ですらあった。彼氏とのプリクラには「愛羅武勇」(あいらぶゆう)って書くのが流行りましたね彼氏いなかったけど。


「普通の女の子」の性が簡単に商品となる中で、愛あるセックスの規範が強固になっていく。だがどうすれば愛あるセックスができるのかは誰も教えてくれない。だから相手の「愛」がまがい物かもしれないと疑った瞬間に、その経験は「悪」になってしまう。(まあこれはkayaがチキンだったと言えばそれまでなんだけど)息苦しい時代だったと思う。


さて、90年代末のananを読むにはまだ幼かった自分にとって、セックス教本といえば告白雑誌の「パステティーン」か「エルティーン」あとはたまに女友達と立ち読みする青年誌くらいだった。


パステティーン」には主人公がレイプされて傷つく漫画がよく載っていた記憶がある。それこそ3ヶ月に1度は援交レイプネタが掲載されていました。ちょっと年上のお姉さんたちはと援交して傷ついたりするんだなって漠然と思ったのを覚えている。仲間内では飯島愛の『プラトニック・セックス』が流行った。DVという言葉を知った。華原朋美オーバードースをし、浜崎あゆみは「居場所がない」と歌っていた。誰もが「私を承認してよ」と叫ぶような、そんな90年代〜00年代でした。
*2



そんな時代に青春を過ごしたせいか、自分にはan・anが主張した「セックスにおける自由」というものが正直、想像できないのです。an・anの明るいセックスよりも『小悪魔ageha』に出てくる彼氏との息苦しい関係性の方にリアルを感じてしまう。彼女たちの過剰なまでの病み告白は、過剰なだけに逆にリアルなのです。



漠然と「愛」を求めつつ「愛が得られなかった」と自分を責める女の子たちが救いを求めたのが、06年に生まれた『小悪魔ageha』だったのだろうagehaでは読者モデルの愛され自慢より、DV告白を特集した方が部数が伸びるという。


80年代のan・anにおける自由で開放的なセックス=「私たちのためのセックス」は今も可能だろうか。

*1:この時代、トラウマ語りや精神病がアイデンティティとなる「心理学化」と呼ばれた流れもありましたね

*2:関係ないけど、中学生の女子がそういう形で性愛の如何を学んでいた頃、同級生の男子は家庭内での幸せな性生活を描く『ふたりエッチ』を回し読みしておりましたね