東北という物語
今回は松田聖子について書くつもりが、11日に大地震が起きてから思ったことを少し、書いておこうと思う。
日本の真ん中から上半分を襲った巨大地震から、1週間がたった。
被災した親戚いわく、「とにかくひどい状態」らしい。テレビ(うちはテレビがないのでNHKの音声だけだが)やラジオもほとんどが地震特番で、ツイッター上でも地震や原発にかんするRTが溢れている。
今朝、出会った古紙回収のおじさんは、「東京出るのは止めた方がえぇで。あこらへん全部、水没するんちゃうかって言われてるで」と言っていた(ソースは不明)。関東の人たちが地方へ「疎開」する向きもある。余震が怖い。
地震直後から気になったのは、「千葉や茨城(や栃木、北海道や新潟、長野)もひどいのに、全然報道されない」という声だった。ネットなどを見ると、トータルで見れば「死者数」「行方不明者数」などは東北が圧倒的に多いけれど、関東やその他の地域でも、避難所生活を余儀なくされている人が沢山いるし、ライフラインの復旧も厳しいことがわかる。
「どうして大手メディアは東北のことばかり報じて、関東の被害は報じないのか」。もちろん被災者の数によるものだとは思うけれど、東北という土地には、何か大手メディアの罪悪感をかきたてるものがあるのかな、と思った。
大げさな話になってしまうけど、東京には戦後、田舎から多くの人がやってきた。特にたくさん出て行ったのは団塊世代で、彼らは兄弟が多かったため後を継ぐ必要がないから、田舎の家を出て、東京で新しい核家族をつくった。
田舎はその代わり、地方選出の国会議員たちが予算をとってきた公共事業で、土建国家として栄えた。地方の土建屋さんが造った無数の道路は都市へとつながり、若者はさらに、東京へ出て行った。そのうち若者がいなくなり、お年寄りばかりになった。
今テレビにうつる東北の避難所では、8割がお年寄りというところもある。戦後の復興期、東京へ出て行かなかった人たちがお年寄りとなり、避難所で毛布を分け合っている。多くのお年寄りは、東京に出て行った団塊世代のちょうど親に当たる世代である。
公共事業が減らされ、地方が土建国家としての体をなさなくなってから、地方はどんどん小さくなっている。それでも地方は、(もはや当然の前提になってしまっているが)東京の存在がないと生きていけない。福島にある原発の電気を使うのは東京都民である。東北新幹線ができたとき、誰もストロー効果を言わなかった。言ったけど、その声は「ようこそ青森へ」の声にかき消された。
東北という土地の避難所の風景には、日本の「戦後」が集約されているように思える。これは大げさな比喩だし、感想の域を出ないんだけど。だけど、大手メディアが東北の惨状ばかり映す気持ちは分からないでもない。
だが東北が、震災という「悲劇の共同体」の物語のために消費されていくのは、見ていてつらい。
結局何が言いたいんだとか、「論理的」ではない、と思われるかもしれませんが、このブログはこんな感じで毎回、思ったことを少しだけ掘り下げて考えています。私などは、今は募金くらいしかできませんが、被災地の復興を心からお祈りしています。