ふたりエッチとフリーター
こんにちは。世間では3連休ですねkayaもだけど。みなさまいかがお過ごしでしょうか。自分は相変わらず目立った予定もないので、週末引きこもりをやっております。
いきなりですが、先日のブログで90年代後半、中学生男子に回し読みされていた漫画「ふたりエッチ」について触れたのを覚えておられるでしょうか。ものすごい小ネタだったので私自身も忘れていたのですが、今回はそこから派生して若者論をぶちたいと思います。
「ふたりエッチ」の何巻かは忘れたけど、20代フリーターがとある女の子に「俺、フリーターやってるぜ」とか何とか自己紹介をし「カッコいい!エッチしたい!」(だったか忘れた)と思われ、ゆきずりのセックスをする場面がある。90年代後半の話です。
その頃はまだフリーターが「カッコいい」存在だったのか…
ゼロ年代の進路指導ではよく「フリーターと正社員の生涯収入の差はウン億円」の図が使われた。で「フリーターだけは選ぶな」との教育を受けてきたkayaは驚いたわけです。
日本でフリーターをめぐる議論が活発になったのはここ10年ほどのこと、2000年代になってからだ。
フリーターの数は97年に内閣府のデータで300万人を超えていたし、若者に限らず経済格差はいつの時代も存在していた。ただ日本では未婚の子供が実家で暮らすことが一般的なので、親の資産があるかぎり若者は低収入でもそこそこ楽しい生活ができる。「パラサイトシングル」ってやつですね懐かしい。
ところが99年に派遣法が改正され、派遣可能な業種が一気に増える。2000年頃からは就職氷河期がはじまり、大学を出ても就職できない若者が急増した。「一時的な自由」を享受していたフリーターたちがオトナになるにつれ、彼らは結婚できるのか?子供はどうなるのか?というか税収はどうなる(実はこれがメイン)などの問題が騒がれるようになった。
ただ重要なのは、派遣法自体は1986年にすでにスタートしていたということだ。86年といえば男女雇用機会均等法と同じ年。あのとき以来、私たちの社会は少しずつ変わっていった。
「能力のある者は雇用を保証する代わりに使い倒すが、そうでない者は低賃金に甘んじて自由に働いて下さい」*1
快適な現代社会を支えるには、大量の低賃金サービス労働者が必要となる。それに甘んじたのが若者だった。マクドナルドで、コンビニで、24時間営業のスーパーで働くバイトに高度な能力はいらない。低賃金でニコニコ、文句を言わずに働いてくれればよいのです。スマイル0円とは「微笑む」という労働の価値が「0円」ということだもの。
このような社会は、ゼロ年代以降の私たちがうすーく内面化している自己責任論と相性がよい。「選んだ地位はあなたの努力の結果なので、社会に文句は言わないで下さい」というわけです。
経済をうまく回すため「周辺」の安価な労働力を利用する。そうしてこの国は成長してきたんだよね。
ところで戦後長らくその周辺を担ってきたのは、女性だった。70年代以降の日本が高度消費社会化するにつれ、大量に必要となった低賃金サービス労働を最初に担ったのは主婦パートだったのだ*2。日本では安価なサービス労働を担う主婦がいたから、移民が必要なかったんだね。そこに80年代以降、若者と「企業に滅私奉公することを希望しない女性」が加わっただけ、とも言える。
それまでは主婦パートがやっていた単純労働を若者もやるようになったから、日本のサービス業はこんなに上手く回っている。若者と多くの女性たちは「あなたの選んだ地位は全てあなたの責任で引き受けてね、社会のせいにしないでね」という自己責任論のもと、周辺に甘んじ続ける。
こんなふうに中心の利益を守るため、周辺から安価な労働力を搾取し、そのツケを未来に回すような社会のどこが「最小不幸社会」なのかと思う。
さて……そうだ、3連休はジャスコに行こう。
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【ついでに】
今回の議論はウォーラーステインの世界システム論とフランクの従属理論、あとマリア=ミースらの「主婦化」理論を参考にしています。読むとやっぱマルクスすげぇ!って思えます。興味のある方はぜひ読んでみてください^^