コミュ力の誕生(2)
「コミュ力」的なものが重視される背景には、よくいわれるようにR・ライシュが指摘した「ニュー・エコノミー」の台頭がある。*1
ニュー・エコノミー下では、一部の創造的な仕事をする集団(例:大企業のマーケッターとか)と都市インフラを支えるサービス業(いわゆるマック・ジョブ)に従事する人びとの経済格差が大きくなる。
さらに、この競争に負けた人びとを納得させるロジックは、これまでの「学力」に代わり今や「人間力」という(超)曖昧なことばに置き換わっている。
たしかに、「創造的な仕事ができるかどうか」なんて「コミュ力」としか表しようがないのかもしれない。
おまけに「○○力」という曖昧な概念は、それが備わっていないと見なされた結果、下位に甘んじている集団に対して「自分は○○力がないからダメなんだ、仕方ないんだ」と思い込ませることができるのでたいへん便利である。
今年も、この曖昧な概念に振り回されたあげく、12万人が内定先が決まらぬまま大学を卒業すると見られている。
だが経団連のおじさまたちは「鈍感力」を決め込んでおり動けない。これを何とかするのは私たちの「若者力」か?
*1:ちなみに日本でニューエコノミーが台頭してきたのは、90年代末といわれている。